「不用品、粗大ゴミ、ゴミの歴史」

2021/03/15

現代の私たちはいらなくなったものは捨て、新しいものに買い換えるという「大量消費」をする時代。
毎日出るゴミも、一昔前はもっと有効活用されて地球環境の保護に貢献していました。
ではゴミの歴史は現代に至るまで、どのように成り立っていたのでしょうか?
今回は、これまでのゴミの歴史についてや現代における不用品の処分で困る「粗大ゴミ」について、四国 4 県で
の不用品の処分方法などをご紹介したいと思います。
■ゴミの歴史
私たちの生活から毎日排出されるゴミ。
このゴミは地球環境において深刻な問題に直面しています。
これは、現代の私たちが便利になった世の中だからこそ、買い替えや使い捨てなどによって大量消費をしている
から引き起こされています。
一方、使い捨てや大量消費をするという概念がなかった江戸時代には 100 万人もの人口がおり、同じようにゴミ
問題に直面していました。
しかし、現代で言う「リサイクル」の技術や商売が成り立っていた事からリサイクルをするための職人が既に存
在していたのです。
この職人についても後述するとして、まずはゴミ問題の歴史を年代別に見てみましょう。
○時代別ゴミの歴史
昔の時代、今のようなゴミの分別や処理をしていたのでしょうか。
遡ること「江戸時代」。
江戸は、ロンドンやパリと並ぶほどの世界有数の人口を誇る大都市でした。
もちろん人口が多いということはゴミの問題もあるはず。
江戸時代の人々は紙や古着は再利用し、生ゴミは川や空き地に投棄することが日常だったとか。
そこで幕府から不法投棄を禁止する触書が出され永代浦へ捨てに行くという場所が定まったことから、ゴミの収
集や運搬のベースとなるものが出来上がりました。
この時代、世界で頭を悩ましていたのが不衛生になってしまうし尿。
世界的に問題となっていたし尿ですが、江戸では農家が高値で買い取って肥料にするなど一歩進んだリサイクル
を行っていたのです。
明治に入ってからも廃棄物処理は変わらず続きますが、伝染病が流行したこともあり「汚物掃除法」が公布され、
行政の管理でゴミの収集が行われるようになります。
しかし、まだ焼却場の整備は進んでおらず野焼きなどが主流でした。江戸時代から細かく年代別に見てみましょう。
【江戸時代】
私たちが燃えるゴミの日を気にするのと同じように、江戸時代の庶民の日常にもゴミ問題があり「次、ゴミを川
っぺりに運ぶのはいつ?」と同じように気にしていました。
江戸時代およそ 1600 年頃、ゴミの種類は主に食べたものなどの生ゴミが中心でこの頃からゴミ処理が問題視さ
れる時代になりました。
江戸幕府が開かれて、江戸の町にたくさんの人が増えたことから、排出された生ゴミを捨てる方法に悩み、その
結果庶民たちは空き地や溝、川などに捨てるようになりました。
付近の住民は悪臭やハエ、蚊などに悩まされていたそうです。
また頻発していた火災を防止するという意図もあって幕府は対策を取るようになり、
・下水にゴミの投げ込みを禁止する
・川や下水溝のゴミの投げ込みを禁止する
・深川や永代島に幕府が決めたゴミ埋立地を設立する
などと対策を講じました。
そして、幕府によってゴミ収集の業者が指定され、お金を払ってゴミを埋立地へと運搬してもらう制度がスター
トしました。
江戸中のゴミは永代浦に集められて、江戸湾に埋め立てされていたのです。
定期収集が始まり、収集されたゴミの中から金物や燃料、肥料などのまだ使えるものは再利用され、残ったゴミ
は埋め立てられて自然へと返されました。
この時代は社会が発展しても、ゴミは生ゴミや灰のみだったこともあり 1 年も経たずして自然に分解されていた
のです。
しかし江戸の文明が発展すれば、それに伴って人口も増加します。
徳川家康は江戸城を整備する際に、江戸の町割を実施します。
江戸城の下に入り込む日比谷入り江は埋め立てられ、京橋や神田、日本橋などの下町が完成。
ここに駿府や上方をはじめ、日本中から商人や職人たちが移住し、同業者が集まって住む町屋が成立しました。
この町屋は 120m 四方の正方形街区が基準として道路割りが行われており、道路沿いに奥行き 40m の町屋敷が
配置。
そして残りの中央部には 40m 四方の「会所地」と呼ばれる空き地があり、慶安時代に禁止をされるまでここに
ゴミを捨てていました。
しかし、1657 年以降は飛躍的な人口増加によって町割りもより広範囲に進みました。
それによりゴミ問題に直面したことから火災などの原因にもなる焼却することを禁じる通達を出します。
・1648 年、ゴミによる街路の補修を禁止。下水溝への不法投棄を禁止する。・1649 年、ゴミを会所地に捨てることを禁止。
・1655 年、永代浦をゴミ投棄所に指定。昼間にゴミを投棄すること。
・1662 年、ゴミ投棄船による収集、運搬を行う。他の場所への不法投棄は禁止する。
・1663 年、ゴミ処理に請負人を指定する。鑑札を発行する。
・1663 年、ゴミの収集料金を定める。
・1695 年、永代橋をゴミの投棄場所に指定。
・1730 年、越中島をゴミ投棄場所に指定。
1649 年には奉行所が「町触」を出し、会所地への不法投棄を禁止します。
そして 1655 年には深川永代浦をゴミ投棄場所に指定。
当時は葦の茂った干潟でしたが、ゴミの埋め立てが進んだことから新田が造成。
1662 年には日本橋を境に江戸の町を南北に分けて幕府の許可がある「浮芥定浚組合(うきあくたじょうざらい
くみあい)」の請負仲間が鑑札をもらって集まったゴミを回収して芥船で運搬、処理するようになります。
これによってゴミの収集、運搬、処分を行う体制の基礎が確立され、政府は住民の生活に合うように調整しまし
た。
町奉行は法令を出すときに問い合わせも多かったが、早い時期にゴミの処理システムが整備することができまし
た。
【明治・大正時代】
1868 年頃からは産業も様々な分野で発展したこともあり、家庭や事業所などからゴミが増えてきました。
そして、燃えるゴミは現代のような焼却処分ではなく家庭にある五右衛門風呂や風呂屋の燃料となり、庭がある
家庭は穴を掘って埋めているところもあり、排出されるゴミは多くはありませんでした。
そして、この頃から価値のあるゴミを回収するための有価物回収業者ができました。
1878 年頃からは政府が積極的に、ゴミ処理政策を進めるようになりました。また、伝染病予防のためにゴミ処理
を生活環境整備と位置づけます。
このあたりから、埋め立てではなく焼却処分をするようになりました。
1887 年になり、政府は共用のゴミ容器を備えることを義務化し空き地などへの不法投棄を禁止にしました。
1900 年になり、日本で最初のゴミ焼却炉が福井県で完成します。
1901 年、ゴミを露天焼却してから埋め立てるようになりました。
【昭和時代】
1920 年代になると燃えるゴミは家庭風呂や風呂屋の燃料として利用され、生ゴミは肥料や養豚場の飼料として
使われていました。
1940 年に入ると第二次世界大戦が勃発したこともあり、物資不足からゴミの排出量も極端に減りました。
1950 年に入り、家電製品が多く普及。
テレビや冷蔵庫、洗濯機などの「三種の神器」が普及したこともあり家庭ゴミは生ゴミだけでなく
・ガラス瓶・プラスチック
・紙
・金属類
など混ざるようになり、ゴミの質に変化が起きます。
そして 1964 年の東京オリンピック開催によって日本が世界的に注目をされますが、ゴミの歴史にも大きな転換
点となります。
というのも、生活様式の変化によって今に至る大量消費社会になるからです。
これによってゴミの排出量が激増し、さらに水俣病なども流行しました。
1960 年代は、発泡ポリスチレンの生産がスタートしました。
スーパーの商品トレイや家の断熱材、即席麺のカップなど大量に生産され、使われるようになりました。
他にもスーパーマーケットではセルフサービスも普及しはじめたことから、レジ袋や包装などの消費も進みます。
一見すると便利な世の中になってきたという感じですが、これはゴミ増加が進み、使い捨てをする生活様式へと
変化してしまったということを指します。
紙の大量消費、容器包装廃棄物に伴うプラスチック類のゴミの増加はゴミ問題に繋がる結果となってしまうので
す。
また、これまでは再利用しものを大切にしてきた人々でしたが公団住宅が普及してきたことなどから、近隣付き
合いや物を分け合うという習慣も徐々に薄れてしまいました。
○江戸時代を清潔にしたリサイクルの始まりとその職人たち
江戸時代の人々は、現代のようにすぐに買い替えたり使い捨てをできる時代ではありませんでした。
それによって、使ったものをすぐにゴミとしては捨てずに「別の使い方を考えて再利用をする」という考え方が
主流でした。
そのこともあり、現代のリサイクルと呼ばれる処理をするための職人が 350 種以上存在していました。
【し尿で年収の半分を稼ぐ庶民】
江戸時代、庶民が生活する上でゴミをゴミとして処分しない資源循環としてし尿、灰、稲藁が主に中心となって
リサイクルされてきました。
江戸時代の始め、排泄物は川や堀に流されるだけでしたが、し尿を肥料として栽培すると
・野菜の品質が良くなる
・野菜の育ちが早い
・野菜が早く収穫できる
などということから、村で農作物を作るための肥料として売買されるようになりました。
この時代の共同トイレ「雪隠(せっちん)」から汲み取られる下肥は年収の半分を占めるほどの収入額となるほど
で下肥問屋ができてからは、し尿が高騰します。
そして、1789 年には江戸近郊の 1016 村の農民が協力しあって奉行所に値下げの嘆願をします。
そこで奉行所は下肥問屋の汲み取りを禁止しますが買い占めは留まることなく続き農民は野菜と交換する桶買
いをし、近郊の農作物に頼っている江戸は野菜も高値で売ることができたそうです。また日常生活においても、たくさんのものを再利用しています。
庶民の着物は、夏と冬で綿だけを入れ替えて何度も着回していました。
また赤ん坊のオムツも捨てずに雑巾としてボロボロになるまで使い込んでいるくらいものを大切にする文化が
あったそうです。
【様々なものを有効活用】
江戸時代は様々なものを再利用していました。
ゴミの中心となったのは生ゴミと灰。
生ゴミは養豚場の飼料に、灰も処分せずに農地の土壌改良材や補給肥料として使われました。
また、アルカリの灰も和紙や絹・麻の繊維を分離させるためや塗料の色調の調整、洗剤として、陶器の釉薬、お
酒の酸化を中和させるためなど様々な再利用したのです。
また灰だけでなく、米作りで発生した稲藁は建築素材や草履や蓑として使われました。
そして、履き古した草履はたくさん街道沿いに積み上げられ農家が堆肥として使いました。
【鉄も貴重な資源として再利用】
江戸時代では、古いものは捨てずに何度も繰り返し使うようにするために考えられていました。
その中で「鉄」も非常に貴重な資源。
生活に必要不可欠な鉄は、いまの日本と同じように溶かされては何度もリサイクルされていました。
当時、修理ができなくなってしまったような火鉢や鍋、錆朽ちた包丁などのくず鉄は古鉄買によって量を測り、
回収されて鍛冶屋や職人などに売られていましま。
この古鉄買という現在で言うリサイクル業者は、1723 年地点で 1,116 人も存在し、全体の職人の 19%も占めて
いました。
【およそ 350 種以上の現代のリサイクルの職人が存在】
現代で言うリサイクル業は江戸時代に様々な職人によって成り立っていました。
それぞれ説明します。
・職商人(修理する職人。下取りや新品の販売をすることもある。)
→錠前直し…錠前を道具箱の外側にして分かるように歩き、修理をする職人。
→羅苧屋(らおや)…煙管を修理する職人。羅苧は煙草に使われている細い竹のこと。この羅苧は煙草を詰める
雁首と吸い口の間にあり、ヤニで詰まりやすいことから取り除く作業や取り替える作業が必要でした。
・修理や再生業者(壊れたものを治して使えるようにする職人)
→鋳掛け屋…道具を持ち歩き、金属製品を修理する職人。古い鍋や釜などの穴を直していた。
下駄の歯入れ→…下駄の歯入れをする職人。下駄は歯だけを交換して履き続けることができた為、庶民はすり減
った下駄の歯を差し替えて再び履いていた。
→瀬戸物の焼き接ぎ…割れた陶磁器を白玉粉を使って接着し、加熱して焼き接いだ。
・回収業者(いらなくなったものを売買、交換、下取りをする職人)
紙くず買い→…現代の古紙回収業者のこと。紙製品を買い取って、再生紙を作る古紙問屋に売っていた。
古鉄買い→…くず鉄を買い取って鍛冶屋に売っていた。
古着屋→…古着だけでなく、端切れなども売っていた。
蝋燭の流れ買い→…蝋燭が燃えたあとに残るしずくを秤で計って買い取っていた。【大量消費でゴミ問題に直面する】
便利な世の中に変化してきた昭和時代でしたが、便利な世の中に伴うのは大量消費社会による廃棄物のゴミ問題。
それに留まらず、1980年頃からのバブル景気によってさらに事業所や外食産業からの廃棄物が増加してしまい、
よりゴミ問題が悪化してしまいます。
ゴミの排出量が極端に増えるということは、大気汚染の公害問題や河川汚染、焼却によるダイオキシン問題など
様々な悪影響を及ぼします。
これにより、少しずつリサイクル法が制定されるようになりリサイクルに対する国民の意識が高まってきました。
そして、現代では様々なリサイクル法が存在します。
私たちが地球環境を守るために、ゴミの分別をしリサイクルをより行っていかなくてはいけないのです。
■粗大ゴミはどうする?捨て方について
○粗大ゴミとは?
現代の私たちのゴミは、生ゴミに限らずプラスチックや紙、ビンなど様々なゴミが排出されるようになりました。
しかし、ほとんどのものは収集日に合わせて時間までにゴミ集積場へ出すことで収集・運搬をしてもらうことが
できます。
その一方で処分に困るのが粗大ゴミ。
粗大ゴミはなかなか生活する上で出す機会がないので何が該当するのか悩んでしまいますが代表的な例として
・ソファーなどの家具
・ベッド
・布団
・自転車
などがあげられます。
しかし、粗大ゴミの定義は自治体によって異なるために住んでいる市町村のゴミの分別方法を確認することが大
切です。
○粗大ゴミを捨てる方法は?
粗大ゴミを捨てる方法は
・自治体の指定処理施設に予約して回収してもらう
・フリマアプリを活用する
・掲示板を活用する
・不用品回収業者を利用する
の 4 通りがあります。
それぞれご紹介します。
【自治体の指定処理施設に予約して回収してもらう場合】
粗大ゴミを自治体に回収してもらう方法です。
回収できるものに決まりがあり、サイズなどにも規定があるので注意が必要。また自治体によって有料であったり、立ち会いが必要なことも。
前もって予約をして自分で家具などの粗大ゴミを運搬して指定場所まで運ばなくてはいけないことが多くなっ
ています。
【フリマアプリを活用する場合】
フリマアプリは、スマホ 1 つで簡単に粗大ゴミなどの不用品を売ることができます。
特に人気なのが誰でも簡単にできるフリマアプリ「メルカリ」。
出品や決済も簡単で、簡単梱包など利用者の手間やトラブルを減らすための工夫も充実しています。
また「ラクマ」も人気のフリマアプリ。
こちらもメルカリ同様にアプリで不用品の売り買いができます。
利用しやすい方で粗大ゴミなどの不用品を販売してみても良いかもしれません。
【掲示板を活用する場合】
登録料や手数料も一切かからない地元の掲示板「ジモティー」などオススメ。
個人間でやり取りを行うことや、掲示板というだけあって初めての時は大変かもしれませんが「助けます」など
のカテゴリではボランティアで不用品を回収している人もいるようなので粗大ゴミを片付けたい方は見てみて
も良いかもしれませんね。
【不用品回収業者を利用する場合】
粗大ゴミなどの不用品が売れるのを待つより早く、そしてまとめて片付けたいという方は不用品回収業者に依頼
するのがオススメ。
フリマアプリや掲示板サービスだと
・すぐに売れない
・不用品が残ってしまう
・発送が大変
・個人間のやり取りでトラブルが起こりやすい
などということも懸念されますが、不用品回収業者だとそのようなリスクはありません。
また不用品回収業者によっては不用品の買い取りも行っています。
いらないものを売ってお金をもらえたり、海外輸出をして再利用をしてもらえるなど地球環境保護の貢献となる
ことも踏まえれば、ただ捨ててしまうより何らかの手段で「捨てる」以外の選択をすることが大切です。
■不用品回収業者がオススメな理由
前述でご紹介した粗大ゴミの捨て方ですが、一番オススメなのが不用品回収業者に依頼すること。
どうしてオススメなのか?という理由をまとめます。
○迅速に片付けられる
自治体に回収してもらう場合や、フリマアプリで販売する場合どれだけ早くても 1 週間以上かかってしまいま
す。
一方で不用品回収業者であれば問い合わせをしてから翌日に回収してくれるなど迅速に対応してくれる不用品
回収業者が多くなっています。これであれば、引っ越しなど片付けに期日があっても間に合うでしょう。
○買い取りも可能
不用品回収業者はただ回収をするだけでなく、業者によってはその場で査定をして買い取りが可能な場合もあり
ます。
いらないものを片付けてもらって、お金がもらえたり安く済むのは有り難いですね。
○まとめて片付けることができる
フリマアプリや掲示板で出品をすることは、売れなければ粗大ゴミを片付けることはできません。
一方で不用品回収業者であれば、不用品をまとめて回収をしてくれることがメリットでしょう。
○他のサービスも充実している
不用品回収業者は、粗大ゴミ以外の不用品も回収することが可能。
不用品回収業者によっては品目が異なるものの、多くのものを取り扱っているので粗大ゴミ以外のものもまとめ
て片付けることができます。
○運搬なども任せることが可能
自治体に回収を依頼する場合は自分で粗大ゴミを運搬しなくてはいけないことがあります。
またフリマアプリなどで商品を発送するにあたっても手続きを行うのは自分です。
一方で不用品回収業者は、いらなくなった大きな家具などの粗大ゴミを自宅まで引き取りに来てくれます。
運搬はもちろん、運び出しなども業者に任せることができますので手間が省けるのがメリットです。
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さい。
○フォアールプラスが回収可能な品目
愛媛県松山市だけでなく四国全域をカバーするフォアールプラス。
粗大ゴミだけで様々なものを回収することができます。
例として、回収品目は以下のようなものがあります。○家具
・ベッド
・折りたたみベッド
・スプリングベッドマットレス
・脚付マットレス
・タンス
・茶箪笥
・食器棚
・サイドボード
・チェスト
・カラーボックス
・衣装ケース
・衣装ダンス
・テーブル(折脚式)
・ダイニングチェア
・座椅子
・ソファー
・学習机
・勉強机
・そで机
・スチール家具
・テレビ台
・レンジ台
・アイロン台
・メタルラック
・ハンガーパイプ
○生活家電製品
・炊飯器
・電子レンジ
・オーブンレンジ
・トースター
・ポット(電気ポット)
・給湯器(取外し済)
・掃除機(家庭用)
・加湿器
・空気清浄機
・衣類乾燥機
・布団乾燥機
・家庭用食器洗浄機
・家庭用食器乾燥機・ホットカーペット
・扇風機
・サーキュレーター
・冷風機
・こたつ
・オイルヒーター
・ストーブ(電気、ガス、石油)
・マッサージチェア
・体重計(ヘルスメーター)
・ミシン(卓上ミシン)
・アイロン
・ドライヤー
・電話
・ファックス
○リサイクル家電製品
・テレビ
・冷蔵庫
・洗濯機
・エアコン
・パソコン
○電子機器・音楽用品
・携帯情報端末(iPod 等)
・携帯電話
・デジカメ
・ゲーム機
・DVD デッキ
・ビデオデッキ
・ステレオセット
・スピーカーセット
・ミニコンポ
・CD ラジカセ
・MD ラジカセ
○オフィス・事務所
・事務用デスク
・OA チェア(事務椅子)
・折りたたみ椅子
・パイプ椅子
・ディスプレイ液晶
・パソコン・ワープロ
・スキャナー
・工業用ミシン
・金庫
○自転車・スポーツ用品
・自転車
・折りたたみ自転車
・電動自転車
・バッテリー (車用・バイク用)
・一輪車
・三輪車
・スノーボード
・ゴルフクラブ
・ゴルフケース
・キックボード
・スキー板
・スノーボード
○家庭ゴミ
ビニールや段ボール箱に細かいものを詰めてください。(生ものは回収できません。)
などがあげられます。
家電製品の回収だけに限らず、不用品回収は上記のようなものが 1 点からでも対象になりますのでお気軽にお問
い合わせください。
○対応エリア
不用品の処分を迅速にまとめて片付けたいという方はご検討ください。
不用品回収香川 愛媛は、安心安全の
・一般廃棄物収集運搬業許可
・古物商認証番号
の取得業者です。
四国どこでも出張無料でお見積りにお伺いします。
対応エリアは以下の通りです。
○香川県
高松市、丸亀市、坂出市、善通寺市、観音寺市、さぬき市、東かがわ市、三豊市、土庄町、小豆島町、三木町、
直島町、宇多津町、綾川町、琴平町、多度津町、まんのう町○愛媛県
松山市、今治市、宇和島市、八幡浜市、新居浜、西条市、大洲市、伊予市、四国中央市、西予市、東温市、上島
町、久万高原町、松前町、砥部町、内子町、伊方町、松野町、鬼北町、愛南町
○徳島県
徳島市、鳴門市、小松島市、阿南市、吉野川市、阿波市、美馬市、三好市、勝浦町、上勝町、佐那河内村、石井
町、神山町、那賀町、牟岐町、美波町、海陽町、松茂町、北島町、藍住町、板野町、上板町、つるぎ町、東みよ
し町
○高知県
高知市、室戸市、安芸市、南国市、土佐市、須崎市、宿毛市、土佐清水市、四万十市、香南市、香美市、東洋町、
奈半利町、田野町、安田町、北川村、馬路村、芸西村、本山町、大豊町、土佐町、大川村、いの町、仁淀川町、
中土佐町、佐川町、越知町、檮原町、日高村、津野町、四万十町、大月町、三原村、黒潮町
また、24 時間対応(0120-666-939)もありますのでお気軽にお問い合わせください。
■まとめ
江戸時代は
・し尿は肥料にする
・鉄は何度も溶かして再利用
・着物は綿を入れ替えて着続ける
・オムツは雑巾として再利用
・魚の油で灯を取る
・草履は歯入れをして再利用
など究極のエコロジー社会を確立しており、色々なものを自然エネルギーに頼っていました。
どんなものでも「勿体ない」「別の方法で使えないか」と考えて再利用をしていく江戸時代は循環型社会として確
立できていました。
現代でもリサイクルを通して江戸時代から学べることはたくさんあるのではないでしょうか。
江戸時代のものを大切にしていた文化をもう一度思い出すことが今後のリサイクル業にも関わってくるかもし
れませんね。
いらないものや使わなくなったものは「捨てる」のではなくフリマアプリで必要としている人に売ったり、また
は人に譲ったり、不用品回収業者に依頼するなど何らかの形で「再利用」をしてもらうことが現代で地球環境を
守るための 1 つの行動と言えます。
ゴミの分別だけでなく、ものを大切に使い続ける、いらなくなってもすぐ捨てないということが重要な課題なの
かもしれません

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